FCバルセロナとマラドーナ

FCバルセロナとマラドーナ

マラドーナ ●マラドーナを獲れ!
FCバルセロナは、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナに興味を持っていた。
1977年、ミンゲージャは100万ドルという移籍料でマラドーナ側からの交渉を任されていた。
だが当時のバルサ理事会は、10代の選手に100万ドルも出すのを拒否し、移籍話しは事実上解消になっていた。
1978年、ヌニェスがバルサ会長になり、WCが終わったところで、再びマラドーナ獲得に動く。
1980年、マラドーナの在籍するアルヘンティーノス・ジュニオールスとの交渉は大詰めにきていたが、アルゼンチン・フットボール協会が、選手の外国への移籍を禁止したため実現しなかった。
1981年 2月22日、マラドーナ(20歳)はボカへ「1982年 6月30日までのレンタル」という形で移籍する。
これはミンゲージャが、バルサへの移籍のために、交渉を手伝った形だった。
1982年 6月、スペインWC開催間近という時に「マラドーナ、バルサに移籍」というニュースが流れた。
6月 4日マラドーナ(21歳)、バルサへの移籍書類に彼のサインがなされた。

●カンプノウでWC
1982年 6月13日、スペインWCの開催式がカンプノウで行われる。
1982年 6月13日、マラドーナ21歳、WCデビュー。

●記者会見
マラドーナは笑顔で記者会見をし、バルサ選手として迎えられた。
このシーズンの目玉はマラドーナとシュステルだったが、他にも多くの重要な選手が入団している。

マラドーナ ●82−83シーズン
マラドーナは、親善試合の対マジョルカ戦でデビュー。
11月27日のマドリー戦に 0−2 で勝利、次節ソシエダー戦の勝利で首位になる。
しかしマラドーナはウィルス性肝炎にかかり、3か月の闘病生活となる。
マラドーナ向きでバルサは試合に臨むが、次の 2試合に敗北する。
バルサ会長ヌニェスは突然の記者会見で、ウド・ラテック監督の解任を発表する。
残りの 8試合を不安定な試合展開で戦うバルサは、首位ビルバオに 6ポイントと差をつけられて 4位に終わる。

●国王杯
バルサは、国王杯の決勝戦進出するが、相手は宿敵レアル・マドリー。
1983年 6月 4日、サラゴサのロマレーダで決勝戦が行われた。

前半32分、マラドーナの見事なパスから、ビクトールがゴール。
後半 5分、バルサDFからのGKへのバックパスを奪ったサンティジャーナが、バルサGKウルッティの横にシュートをしゴール。
89分、フーリオ・アルベルトからのセンターリングで、マルコスが劇的ゴール。
バルサは国王杯タイトルを手にした。

●夜遊びとコカイン
「マラドーナ一族」と呼ばれる人々がいる。
個人トレーナー、専属ドクター、そして多くの「友人」たちと共に彼の幼なじみであり代理人でもあるホルヘ・システルピレール。
マラドーナと一族は、パーティー、女、アルコールと連日夜遊びを行っていた。
しかし、マラドーナがコカインに手を出していることまでは気が付かなかった。

●バルサ会長ヌニェス
バルサ会長ヌニェスは、ずば抜けた才能を持った会長であった。
赤字経営だったクラブを就任5年にして黒字にしている。
しかし、クラブ内外でのマラドーナの行動は、彼から見ると問題児であり、悩みだった。

マラドーナ ●83−84シーズン
1983年 9月24日第 4節、前シーズン王者ビルバオを迎えてのカンプノウでの試合。

試合開始と共にバルサは圧倒的なボール支配を見せ、ペリーコ・アロンソとフーリオ・アルベルトの得点により前半を楽に終了した。
だが後半12分、ボールを持ったマラドーナに対し、DFゴイコエチェアの後ろからのタックルが決まる。
左足裸靭帯損傷で、最低でも 4ヶ月とみられる重傷であった。
スペインフットボール史において「最も暴力的なタックル」と呼ばれることになるファールであった。
また、このゴイコエチェアのプレーで「ビルバオの屠殺人」というあだ名をつけて有名になったプレーでもある。
試合後の記者会見でバルサ監督メノッティは語った。
「このようなプレーを終わらせるためには、誰かが死ななければならないということだろうか。」
フットボール競技委員会はDFゴイコエチェアに対し、18試合の出場停止処分を科した。

再起不能と言われたマラドーナだが、奇跡的にも回復する。
1984年 1月 8日、マラドーナ23歳、負傷から106日後、カンプノウでのセビリア戦で復帰。
この試合、自ら2得点をあげ、3−1でバルサを勝利に導いている。
そして 3週間後、サンマメスでの因縁のビルバオ戦。
両チーム合わせて50以上のファールがあった異常な試合にも関わらず、マラドーナは 2点を獲得し 1−2 でバルサが勝利した。

再起不能かも知れないといわれた大怪我から戻って来てのいきなりの活躍。
しかし、シーズンの結果は前シーズン王者ビルバオにタイトルを獲られた。
チーム成績の不振に対するファンの攻撃は、マラドーナでさえ逃れられなかった。

バルセロナ×ビルバオ ●国王杯
バルサの残された道、それは昨年と同じ国王杯決定戦。
その相手は、1週間前にリーグ優勝をしたビルバオ。
ビルバオ監督クレメンテ、バルサ監督メノッティ、そしてマラドーナによる試合前の舌戦は壮絶なものだった。

1984年 5月 5日、バルサはベルナベウで国王杯の決勝戦を戦う。

試合開始後13分、ビルバオのエンディカがゴール。
バルサは執拗に攻撃するものの、ビルバオのGKスビサレッタの固い守りの前に、ついに得点をあげることはできなかった。

試合はファールの多い、激しい試合であった。
審判の笛が吹かれビルバオ選手たちが抱き合って喜ぶ。
カルロス国王も両チームの選手に対し拍手を送っていた。
そんな中、ビルバオの 1人の選手がマラドーナに挑発の仕草をした。
マラドーナはその選手の所に行き、羽交い締めにする。
それを見たビルバオの選手たちは、マラドーナを止めるのではなく攻撃する。
その中に「ビルバオの屠殺人」DFゴイコエチェアもいた。
彼はマラドーナの背中に向かって強烈はキックを見舞う。
バルサの選手も入り込み、壮絶な殴り合い蹴り合いとなる。
観客もカルロス国王も為す術もなく、傍観していた。
Barcelona vs Athletic Bilbao fight Maradona

●放出
バルサ会長ヌニェスは、マラドーナを放出することを決断する。
国王杯でのスキャンダルな事件、マラドーナの私生活での行動を考えると、彼にとっては当然の判断だった。
1984年 6月30日、マラドーナは1200万ドルでナポリへ移籍する。
マラドーナのバルサ時代の通算成績は58試合38得点だった。


2005年04月22日 | Comment(1) | FCバルセロナ
コメント一覧

初めまして!
早速質問なんですが、マラドーナがバルセロナに在籍していた時にレッドスターベオグラードと戦った事ってあるんですか?
戦った事があるのであれば、何年の何月何日に試合をしたのでしょうか?
どなたか教えてください。
Posted by ディエゴール at 2006年02月07日 10:48
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